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最終便のプラネタリウム
閉館まで、あと一時間。
佐々木は投影機のスイッチに手を置いた。ツァイス製。一九七四年製造。自分より年上の機械だ。半世紀の間、この丸いドームに星を映し続けてきた。
今日が最後の上映になる。
市の予算削減。来場者数の減少。理由はいくつもあった。どれも正しく、どれも佐々木の胸を抉った。
「すみません、まだ入れますか」
振り返ると、杖をついた老人が立っていた。八十は超えているだろう。背は曲がっているが、目だけが異様に澄んでいる。
「もちろんです。最終上映、二十時からです」
「二十時か。あの時と同じだ」
老人は中央の席に座った。他に客はいなかった。最終日の最終回。来るのは物好きか、よほどの思い入れがある人間だけだ。
佐々木は照明を落とし、投影機を起動した。
かすかな機械音。そして——星が生まれた。
何千もの光点がドームに散らばり、天の川が白い帯となって頭上を横切る。オリオンが腕を広げ、北斗七星が北極星を指し示す。
佐々木はマイクを取った。
「本日は、当プラネタリウムにお越しいただき、ありがとうございます。一九七四年の開館以来、五十二年間——」
声が震えた。原稿は用意してあったが、読めなかった。
「五十二年間、この場所で星を映してきました。今夜が、最後の夜空です」
沈黙。
老人が口を開いた。
「あの日もオリオンが見えた」
「え?」
「一九七六年の冬。ここで妻にプロポーズしたんです。開館して二年目だった。彼女は天文部で、私は——私は星のことなんか何も知らなかった」
佐々木はマイクを下ろした。
「でもね、彼女が『あの星きれい』と言うたびに、私は空を見上げた。見上げることを覚えた。それだけで十分だった」
「奥様は——」
「三年前にね。でも最期に言ったんですよ。『あのプラネタリウム、まだあるかしら』って」
佐々木は何も言えなかった。
「あるよ、と答えました。嘘じゃなかった。あの時は、まだあったから」
投影機がゆっくりと回転する。季節が進む。春の大三角、夏のさそり座、秋のペガスス。そして再び冬のオリオン。
一年分の星空を、十五分で見せる。五十二年分の夜空が、この機械の中に眠っている。
「最後にひとつ、お願いがあります」
老人は立ち上がった。
「一九七六年十二月二十四日の星空を、映してもらえませんか」
佐々木の手が止まった。日付指定の投影。やったことがないわけではない。だが——
「できます。少々お待ちください」
投影機のダイヤルを回す。年月日を合わせる。アナログな操作。デジタルでは味わえない、時間を手で触る感覚。
星空が変わった。
一九七六年十二月二十四日、二十時の空。オリオンが南東に輝き、シリウスが青白く瞬いている。木星がふたご座の近くにいる。
老人はドームを見上げた。
「ああ」
それだけ言って、泣いた。
佐々木も泣いた。
投影機は回り続けた。五十年前の星空を映しながら。あの夜と同じ星が、同じ場所に、同じ角度で光っている。
宇宙は変わらない。星座は動かない。人間だけが変わり、人間だけがいなくなる。
しかし、この機械は覚えている。あの夜の空を。あの夜の光を。
上映が終わった。
照明が点く。老人はゆっくりと立ち上がり、佐々木に頭を下げた。
「ありがとう。妻に見せてやれました」
佐々木はもう原稿を読まなかった。代わりにこう言った。
「星は消えません。プラネタリウムが閉じても、空にはいつもあります。奥様が見た星も、あなたが見た星も」
老人は微笑んで、杖をついて出ていった。
佐々木は一人、暗いドームに残った。投影機の電源を落とす。最後の星が消える。
でも、窓の外には本物の空がある。
見上げると、オリオンがいた。