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八月の手紙、届かない返事
毎年八月一日に、手紙が届く。
消印は毎回違う。東京、大阪、札幌、那覇。日本中を転々としているかのように。封筒は白い無地。切手はいつも花の絵柄。そして便箋には、たった一行。
「元気ですか。」
それだけ。差出人の名前はない。住所もない。返事の出しようがない。
最初の手紙が届いたのは、二十二歳の夏だった。大学を出て、最初の職場で毎日泣いていた頃。あの一行を読んで、なぜか少しだけ息ができた。
翌年も届いた。「元気ですか。」転職した直後だった。
その翌年も。「元気ですか。」失恋した夏だった。
四年目。「元気ですか。」父が入院した年。
五年目。「元気ですか。」父が退院して、泣きながら笑った年。
六年目。「元気ですか。」新しい恋が始まった年。便箋を読んで、少しだけ後ろめたかった。誰に対してかも分からないのに。
七年目。「元気ですか。」その恋が終わった年。便箋を胸に押し当てて、声を出さずに泣いた。
八年目。「元気ですか。」仕事で初めて大きなプロジェクトを任された年。手紙を読んで「うん、元気」と声に出した。初めてだった、返事をしたのは。届かないけど。
九年目。「元気ですか。」母が「そろそろ結婚は」と言い始めた年。手紙を読んで苦笑した。元気かどうかより、結婚のほうが心配だよ、と。
そして十年目の夏が来た。
八月一日。ポストを開ける。白い封筒。花の切手。消印は——福岡。
便箋を開く。
「元気ですか。」
同じ一行。同じ筆跡。丁寧で、少し右に傾いた文字。「で」の丸が大きくて、「か」の最後の画がはねている。
その瞬間、気づいた。
この字を知っている。
本棚に走った。卒業アルバムを引っ張り出す。寄せ書きのページ。クラスメイト三十二人の手書きメッセージ。
指で一つずつなぞる。見つけた。
「四年間ありがとう。これからも元気で。——真壁 悠」
同じ筆跡。同じ「で」の丸。同じ「か」のはね。
真壁悠。同じゼミだった。隣の席だった。特別な会話をした記憶はない。卒業式の日、「じゃあ」と言って別れた。それだけの関係だった。
はずだった。
十年間、毎年、日本のどこかから。たった一行。「元気ですか。」
私はスマホを取った。共通の友人に連絡する。真壁の連絡先を聞く。教えてもらった番号に、震える指でメッセージを打つ。
何を書けばいい?十年分の返事を?「元気です」と?
五分考えて、打った。
「元気です。あなたは?」
送信。既読がつく。
返事は来なかった。
一時間経っても、一日経っても。
三日後、友人から連絡があった。
「真壁くん、去年の秋に事故で亡くなったよ。知らなかった?」
スマホを取り落とした。
去年の秋。つまり、九年目の手紙の後。十年目の手紙が届く前。
では、この手紙は——?
封筒をもう一度見た。消印。福岡。日付。今年の七月二十九日。
死んだ人間から手紙は届かない。
震える手で便箋を裏返した。今まで一度も見なかった裏面。十年間、表の一行しか読まなかった。
裏にも一行、書いてあった。
十年分の便箋を全部引っ張り出した。全部裏返した。全部に書いてあった。同じ一行。
「好きでした。」
十年間、毎年、表に「元気ですか。」、裏に「好きでした。」
私は返事を書いた。届かない返事を。
「私も。気づくのが遅くてごめん。」