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午後三時、二人目の来訪者が、現れる。
田島 拓真、二十九歳、男性、会社員。
死因:自殺。
死亡時刻:九月七日午前一時四〇分。
死亡場所:自宅マンション、十三階、ベランダ。
私は、田島さんが扉を開けた瞬間に、わかった。
死因の文字は、書類には書かれていないが、死者の身体に、痕跡が、見える。
彼の足首には、まだ、自分で止められなかった震えが、残っていた。
「ここ、何ですか」
田島さんは、立ったまま、聞いた。座らない人は、抵抗している人だ。
「死後三日間、手続きをする場所です」
「死んでないです、僕。たぶん」
「いえ、お亡くなりになっています」
「そうか」と、田島さんは、言った。
それから、ゆっくりと、椅子に、座った。
***
書類一枚目、死亡届。
「これ、自分で書くんですか」
「はい」
「自分で書く、ってことは、全部、思い出さないといけないんですよね」
「はい」
田島さんは、しばらく、ペンを、握ったままだった。
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死亡時刻の欄で、田島さんは、止まった。
「正確に、書かないとダメですか」
「ある程度の正確さは、必要です」
「……一時四〇分、と、書いておきます。たぶん、それくらいでした」
死亡場所:自宅マンション、十三階、ベランダ。
「ベランダ、と、書きました。でも、本当は、ベランダから、落ちました」
「ベランダ、で大丈夫です」
「ベランダ、で済ませて、いいんですか」
「はい。落ちた先まで、書く必要は、ありません」
田島さんは、頷いた。
書類の細かい欄を、人は、しばしば、自分の人生の細かい欄として、扱う。
書かなくていい部分が、書かなくていい、と、教えてもらえると、人は、すこし、楽になる。
***
死因の欄。
田島さんは、この欄で、十分間、止まった。
「書けません」
「書ける範囲で、構いません」
「自分が、なぜ、自分を、選んだのか、分からないんです」
「分からない、と、書かれて構いません」
田島さんは、震える手で、こう書いた。
『自殺。理由は、複数あったと思うが、ひとつにまとめられない。仕事の疲れ、母の声を、最近、聞かなかったこと、好きな映画の続きが、あと六本くらい、まだ、観られなかったこと。あと、たぶん、子どものころ飼っていたインコが、死んだ日の朝が、ずっと、頭の中で、続いていた』
私は、田島さんの書いたものを、読んだ。
「インコの名前は、何と」
「えっ?」
「インコの名前です。よろしければ」
「……ピーコ、です」
「ピーコ、と、書き添えても、いいですか」
「はい」
私は、欄外に、小さく、書いた。
『ピーコ』
田島さんは、その三文字を、しばらく、見つめた。
それから、初めて、笑った。
「事務員さん、優しいですね」
「いえ。ただ、書類が、もう少し、本人らしくなるように、しただけです」
***
最後の言葉の欄。
「ない、です。誰にも、何も、言わないで、出ました」
「最後の言葉、なくても、書類上、構いません。ただ、ここに、何か、書いてしまっても、大丈夫です」
「書いていい、んですか?」
「はい」
田島さんは、しばらく、考えた。
それから、こう書いた。
『お母さん、ピーコ、いまも、好きだった』
***
ご本人ご記入欄(自由記入)、田島さんは、長く、書いた。
『僕は、二十九年、生きました。
楽しかったことも、ありました。
楽しかったこと、いまも、覚えています。
ただ、最近の僕は、自分のことが、嫌いでした。
自分のことが嫌いな期間が、長すぎて、それが、僕、になりました。
僕、が、僕、を、終わらせました。
でも、終わらせる直前、僕は、ピーコのことを、思い出しました。
ピーコは、僕が、彼女のことを、嫌っているところを、見たことが、ありませんでした。
だから、ピーコの中の、僕は、嫌いじゃない、僕でした。
そっちの僕を、たぶん、お母さんに、置いてきます』
***
私は、書類を、受け取った。
書類は、機械的に、判定する。
「受理」のスタンプを、押した。
田島さんは、それを、見ていた。
「これで、僕、は、もう、消えるんですか」
「消えません」
「えっ」
「ご本人の書いた、ピーコのこと、お母さんへの一言、これらは、書類として、永久に、保管されます。死後三日間の事務所では、すべての書類が、保管庫に、入ります。誰かが、いつか、参照することが、あります」
「誰が、参照するんですか」
「ご本人を、覚えている人、です」
田島さんは、しばらく、黙った。
「……お母さん、僕の最後の言葉、知らないと思います」
「ご記入された言葉は、私たちが、いつか、お母様の夢に、届けます」
「届けてくれる、んですか」
「はい。それが、私たちの、業務です」
田島さんは、初めて、机に、両手をついて、頭を、下げた。
「お願いします」
「はい。承りました」
***
田島さんは、三日後、出ていった。
扉の向こうから、かすかに、インコの、鳴き声が、聞こえた気がした。
それは、私の、空耳だったかもしれない。
ただ、そう、思った瞬間、私は、自分が、書類の片隅に書いた『ピーコ』の三文字を、もう一度、確かめたくなった。
書類は、もう、保管庫に、移されていた。
取り出すには、上層部の許可が、要る。
私は、許可申請を、出さなかった。
書いたのは、私だ。
私が、いちばん、覚えている。