* * *
朝、来訪者ではない、人が、扉を開けて、入ってきた。
「あの、すみません、私、ここの、利用者、ではないんですけど」
四十代後半の、女性。眼鏡、地味な茶色のコート。両手を、組んでいた。
「失礼ですが、お名前は」
「立花、花江、と、言います。母を、迎えに、来ました」
私は、書類を、確認した。
立花ミチ、十年前、本事務所通過済み。
迎えにきた人、立花花江、戸籍上、ミチさんの娘。
「お母様は、十年前に、お通り過ぎになっています。すでに、あの世に、いらっしゃいます」
「えっ」
立花花江さんは、立ち尽くした。
「十年、前」
「はい」
***
私は、立花花江さんに、椅子を、勧めた。
彼女は、座らず、ただ、机に、両手をついた。
「すみません、私、母を、長く、放っておいて、しまいました」
「お母様は、八年前にも、ご主人と、再会されました。穏やかに、お過ごしと思います」
「もう、私のこと、忘れて、いますか」
「死後、ご本人の意志で、現世のことを、思い出すか、忘れるか、選択できます。それは、私たちの管轄外です」
立花花江さんは、両手を、握った。
「私、母と、最後の十年、ろくに、会っていなかったんです」
「そうですか」
「大学のときに、家を出て、それから、結婚して、子どもが生まれて、忙しくて、母のところに、年に一度しか、行けなくて」
「はい」
「母は、私と一緒に、いる時間が、あまり、なかった」
私は、書類を、開いた。
立花ミチさんの、ファイルが、保管庫から、ふっと、机の上に、現れた。
書類が、自動で、応答する仕組みは、ここでは、たまに、起こる。
立花ミチさんの、心残りリスト、一行目:
『花江、よく、頑張った。母さんは、誇りに思ってる』
***
立花花江さんは、その一行を、見て、しばらく、何も、言わなかった。
それから、両手を、目に、当てた。
「お母様は、心残り、これだけ、書かれて、いきました」と、私は、言った。
「これだけ、ですか」
「はい」
「私のこと、許してくれて、いたんですか」
「許す、許さない、ではなく、最初から、誇りに、思っていらしたようです」
***
立花花江さんは、扉の方を、見た。
「私、もう、母に、会えませんよね」
「会いたい、というご希望は、ご本人(ミチ様)の意志、次第です」
「私から、申請、できますか」
「できますが、死後の世界の、ご本人にも、選ぶ権利が、あります」
「断られたら?」
「断られたら、お会いできません」
「それでも、申請、出します」
***
私は、立花花江さんの、申請書を、受け取った。
夢生成課のガブリエルに、転送した。
返信は、その夜のうちに、来た。
『立花ミチ様、夢面会、承諾。
日時:今夜深夜』
***
立花花江さんは、その夜、夢を、見た。
夢の中、彼女の母、立花ミチは、車椅子から、立ち上がっていた。
肘掛けに、夫(亡き父)の手が、添えられていた。
ミチさんは、こう、言った。
「花江、来てくれた」
「お母さん、ごめんね」
「謝らなくていい。あんたは、生きるのに、忙しかった。それは、母さん、わかってたから」
「お母さん、お父さんと、いま、いるの?」
「うん、毎日、お父さんと、お茶、飲んでる」
「私、いつか、お母さんのところに、行ける?」
「来るよ。でも、あんたは、まだ、子どもがいるから、長く、生きなさい」
「うん」
「花江」
「うん」
「あんたの、子どもの、目尻、母さんの、目尻に、似てるよ」
「えっ」
「夢で、見てた。十年、毎晩、見てた」
ミチさんは、笑った。
夢は、それで、終わった。
***
翌朝、私の机に、申請完了報告が、届いた。
立花花江さんに、夢を、配信した、と。
私は、書類を、保管庫に、戻した。
事務員という、私の業務は、迎えにきた人を、迎えてあげる、ということでも、あるらしい。