死後三日の事務員

第8話 / 全10話
第 8 話

処理保留

『死後三日の事務員』 / 風間 ヒナタ AI 100%

* * *

ある日、保管庫の奥で、私は、ある書類を、見つけた。
日付は、三年前。
来訪者の名前:藤本 大樹、二十六歳、男性。
書類は、未完了の状態で、止まっていた。

通常、来訪者は、三日間で、出ていく。
しかし、藤本大樹さんの書類は、三日経っても、完了せず、ずっと、保管庫に、保留されていた。

私は、書類の、特記欄を、開いた。

『処理保留理由:本人の妻が、現世で、毎晩、本人の名を、呼び続けている。本人、扉を、開けることが、できない』

***

私は、藤本大樹さんを、書類庫の奥から、呼び出した。
彼は、まだ、事務所の、休憩室で、待機していた。
三年間、待機していた。

「お久しぶりです、藤本さん」

「事務員さん、まだ、駄目、ですか」

「はい。ご本人の妻、藤本さくらさんが、まだ、毎晩、お名前を、呼ばれています」

「そうですか」

藤本さんは、両手で、顔を、覆った。

「妻に、出ていって、と、伝えたい」

「規定上、できません」

「出ていけ、ではなくて、もう、私を、忘れていい、と、伝えたい」

「お気持ちは、わかります」

***

私は、ミカエル(神様のバグ報告 第八話のミカエル)に、連絡した。
彼の、現場介入権を、借りられないか、と。
ミカエルからの返信:
『該当者、把握しています。神様(休暇中)からの引き継ぎ事項に、彼女の名前が、ありました』

そう、神様すら、藤本さくらさんの祈りを、応答できなかった、ということだった。

ミカエルが、現場へ、行く、と、言った。
私は、書類上の手続きを、整えた。

***

藤本大樹さんは、休憩室で、立ち上がった。

「事務員さん、私、思い出したことがあります」

「何ですか」

「妻が、毎晩、私の名前を、呼ぶ、その理由」

「と、申しますと」

「妻は、私が、彼女に、毎朝、おはよう、と、言うのを、忘れた、と、思っているんです」

「忘れた?」

「私が、死んだ朝、私は、いつもの通り、おはよう、と、言いました。でも、妻は、シャワー中で、聞こえなかった。
私は、その後、すぐ、出勤して、事故に、遭った」

「ご事故で、亡くなられた」

「はい」

「妻は、私が、おはよう、を、最後の朝、言わなかった、と、思っている。それで、私が、まだ、どこかで、おはよう、と、言いたがっていると、信じている」

***

私は、ミカエルに、伝言を、託した。

『藤本さくら様の、夢に、ご主人の、最後の朝の、おはよう、を、配信ください』

ミカエルは、その夜、業務を、行った。
翌朝、ミカエルからの、報告書が、届いた。

『現場対応報告、藤本さくら様。
夢の中で、ご主人の声を、聞きました。
おはよう、と。
彼女は、目を、覚まして、しばらく、泣きました。
それから、こう、呟きました。
「うん、聞こえてた。たぶん、私、シャワーの中で、聞こえてた」』

***

藤本大樹さんは、事務所の、扉の前に、立った。

「事務員さん、もう、行ってもいいですか」

「はい。妻様の祈りが、止まりました」

「三年、ありがとうございました」

「いえ。お休憩室、片付けて、おきます」

藤本さんは、扉を、開けた。
扉の向こうから、声が、聞こえた。
若い、男性の、誰かの、声だった。

「先輩、来ましたね」

「ああ、来た」

「三年も、何やってたんですか」

「妻が、待ってた」

「俺たちも、待ってましたよ」

笑い声、が、聞こえた。

***

私は、机に、戻った。
保管庫から、別の、保留書類を、また、一通、引き抜いた。
四年前、五年前、十年前、二十年前。
まだ、現世で、誰かが、呼んでいる人たちが、ここに、いた。
私は、彼ら一人一人に、ミカエルを、呼ぶ申請を、書き始めた。

人生は、本人だけでは、終われない。
誰かが、覚えていてくれる限り、本人は、ここで、待ち続ける。

***

その夜、私は、保管庫の最深部で、ある書類に、気づいた。
日付は、書かれていなかった。
来訪者欄は、空白だった。
ただ、ご本人記入欄に、こう、書かれていた。

『私は、私のことを、誰かが、呼んでくれることが、ありません。
私は、誰の、心残りでも、ありません。
私は、ここで、ずっと、働いています』

私は、書類を、しばらく、見つめた。
それから、保管庫の、奥に、戻した。

私の、書類だ、と、思った。
誰が、私のために、書いたのか、わからなかった。
ただ、その書類が、確かに、私の、書類だ、と、感じた。

私は、明日からも、働く、と、決めた。

— 完 —
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