死後三日の事務員

第9話 / 全10話
第 9 話

事務員の、子どもの頃

『死後三日の事務員』 / 風間 ヒナタ AI 100%

* * *

ある朝、扉が、開いた。
予約名簿には、名前が、なかった。
誰かが、勝手に、開けた。

それは、五歳くらいの、男の子、だった。
半ズボン、白いシャツ、靴は、スニーカー。

「ここ、なに」

「死後、三日間、手続きを、する、場所だよ」

「死んだの、僕」

「うん」

男の子は、しばらく、立っていた。
それから、椅子に、よじ登るように、して、座った。
足が、椅子の、半分くらいまでしか、届かなかった。

「お名前は」

「事務員、さん」

「えっ」

「事務員、っていう、おじさんに、会いに来た」

***

私は、書類を、確認した。
五歳児の、来訪、は、本来、稀だ。子どもは、死後、別の窓口を、通る。ここに、来るのは、間違いだった。

私は、男の子の名前を、検索した。
該当なし。
戸籍も、ない。

「君、お名前、教えて」

「ない」

「ない、というのは」

「最初から、ない」

「ご家族は」

「いない」

***

私は、しばらく、男の子を、見ていた。
彼の、目は、澄んでいて、澄みすぎていて、私は、何かを、思い出した。
私が、ここで、働き始めた、最初の日のこと。
私自身も、こういう、子どもの姿を、していた、気がする。
気がする、というだけだった。
記憶は、すでに、私の中に、ない。

「君、もしかして、僕、かい」

男の子は、笑った。

「うん」

「いつの、僕」

「あんたが、この事務所に、来た日の、僕」

「君、私の、過去なのか」

「うん」

***

私は、椅子から、立ち上がって、男の子の、横の椅子に、座った。
机の上に、お茶ではなく、リンゴジュースを、出した。
男の子は、両手で、受け取った。

「あんた、ずっと、ここで、働いてるね」

「うん」

「どうして」

「家が、ない、から」

「家、つくれば」

「つくり方、わからない」

男の子は、ジュースを、飲んだ。
こく、こく、と、音を立てて、飲んだ。

「あんた、最初に、ここに来た日、覚えてる?」

「覚えてない」

「俺、覚えてる」

「そう」

「あの日、あんた、泣いてた」

「私が?」

「うん。誰かに、迎えに来てもらいたかった、って、泣いてた」

***

私は、自分の、両手を、見た。
両手は、私の手だった。
事務員の、手だった。
何百年、何千年か、書類を、書き、印鑑を、押し、お茶を、入れてきた、手だった。

「迎え、来なかったね」

「うん、来なかった」

「だから、あんた、自分が、迎える人に、なったんだね」

「……」

「あんた、いま、来訪者の人を、毎日、迎えてる」

「うん」

「迎えてあげるとき、あんた、過去のあんたに、迎えに来てるのと、同じだよ」

***

私は、しばらく、リンゴジュースを、飲む、男の子を、見ていた。

男の子は、ジュースを、飲み終わった。

「俺、もう、行くね」

「どこに」

「あんたの、奥に、戻る。俺、いつも、あんたの中で、待ってる。あんたが、誰かを、迎える瞬間、俺は、起きる」

「なぜ、戻るの」

「あんたの中の、俺が、いなくなったら、あんた、誰も、迎えられなく、なる」

***

男の子は、椅子から、降りた。
半ズボンの、ポケットに、両手を、入れた。
それから、扉を、開けた。

「あんた、いつか、誰かが、迎えに、来てくれるよ」

「来ない、と、思ってたよ」

「来るよ」

「誰が」

「俺と、一緒に、あんたを、待ってる、誰かが」

***

扉が、閉まった。
机の上に、空のジュースの、紙コップが、ひとつ、残っていた。

私は、その紙コップを、保管庫に、運んだ。
事務員という、業務の、いちばん、奥の、棚に、置いた。

明日も、業務は、続く。
来訪者は、毎日、来る。
私は、毎日、迎える。

それは、もう、私の、業務ではない。
私の、生き方だ。

— 完 —
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