忘れ物

第3話 / 全8話
第 3 話

花江さんの来訪

『忘れ物』 / 藤村 美咲 AI 100%

* * *

2025年9月12日(金)
担当:中村みすず

本日、娘・花江さま、ご来訪。

立花さま、本日も、花江さまのことを、覚えていらっしゃいません。
花江さまは、いつもの、笑顔で「お母さん、来たよ」と、お声がけ。
立花さまは、にっこりと、頷かれ、「いつも、ご親切に」と、お返事。

——

花江さまは、立花さまの、お部屋に、1時間、いらっしゃいました。
お話の内容は、私の知るところでは、ありません。
ただ、お部屋の前を通ると、花江さまが、お母様の昔の話を、お母様自身に、聞かせていらっしゃるのが、聞こえました。

「お母さんは、若い頃、洋裁が上手で、私のセーラー服を、自分で縫ってくれた。」
「お父さんと、お見合いで、結婚した。」
「ヒナタくんという、お友達が、いたって、私が小さい頃、教えてくれた。」

立花さまは、それらを、どこか、他人事のように、聞いておられました。
時々、「あら、そうなの。それは、すてき」と、おっしゃっていました。

——

花江さまが、お帰りになる際、廊下で、私に、こう、おっしゃいました。

「中村さん、母は、もう、私が、娘だって、わからないの。」
「はい、申し訳ありません。」
「謝らないで。母は、覚えていなくていい。私が、覚えているから。」

花江さまは、お辞儀をして、お帰りになりました。

私は、ナースステーションに戻り、しばらく、書類を、書く手が、止まりました。

——

備考:
花江さまの、お父様(立花さまの、ご主人)は、20年前に、ご逝去とのことですが、死因は、申し送り票には、ありません。
本日、花江さまに、控えめに、お伺いしたところ、こう、おっしゃいました。

「役所の窓口で、書類を待っているうちに、心臓発作だったの。」

花江さまは、その時、その役所の、廊下に、いらっしゃった、そうです。
不思議な、おっしゃり方でした。

「私、その廊下のこと、よく、夢に、見るんです。
長い廊下で、たくさんの方が、書類を、書いている、不思議な役所。
父は、その日、書類が、間に合わなかった、らしくて。
私の夢の中の父は、いつも、書類を、書き終えられずに、困っているの。」

私は、そのお話を、聞きながら、なぜか、自分まで、その廊下を、見たことがある、ような、気が、しました。

中村みすず

— 完 —
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